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2008年6月22日 (日) 18:59時点における版
ジェイ・リビングストン(Jay Livingston, 1915年3月28日 - 2001年10月17日)は、アメリカ合衆国の作曲家。 レイ・エバンズとのコンビで映画音楽を創作したことで知られている。
経歴
出生名、ジェイコブ・ハロルド・レビソン(Jacob Harold Levison)。 ペンシルバニア州マクドナルド(McDonald)出身。 ユダヤ人であった。
リビングストンは、ペンシルバニア州ピッツバーグでハリー・アーチャー(Harry Archer)にピアノを習い、高校在学中には、校内のクラブでミュージシャンとして活動した。 高校卒業後、ペンシルバニア大学に入学し、ダンスバンドを結成した。 そこで、このバンドに所属していて、後に生涯の親友となるレイ・エバンズと出会う。
1937年、リビングストンとエバンズは音楽の創作活動を始める。 1948年に公開された映画 『腰抜け二挺拳銃』 (The Paleface)のために作られた 『ボタンとリボン』 (Buttons and Bows)という曲で初めてアカデミー歌曲賞を受賞。 1950年には、映画 『別働隊』 (Captain Carey, U.S.A.)の主題歌である 『モナ・リサ』 (Mona Lisa)、さらに、1956年には、映画 『知りすぎていた男』 (The Man Who Knew Too Much)の主題歌である 『ケ・セラ・セラ』 (Que Sera Sera)でもそれぞれアカデミー歌曲賞を受賞した。 また、1951年に公開された映画 『腰抜けペテン師』 (The Lemon Drop Kid)の曲で、クリスマスソングでもある 『銀の鐘』 (Silver Bells)を創作したことでも知られる。
2001年10月17日、肺炎のためカリフォルニア州ロサンゼルスで死去。 86歳だった。 遺体はウエストウッド・メモリアルパーク・セメタリー(Westwood Village Memorial Park Cemetery)に埋葬された。