「島津貴儔」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
'''島津 貴儔'''(しまづ たかとも)は[[薩摩藩]]士。家格は初め一所持、のち一門家。垂水島津家9代目当主。薩摩藩主[[島津吉貴]]3男。薩摩藩主[[島津継豊]]同母弟。幼名は小源太。通称は玄蕃、備中、備前。号は静山。娘に[[島津都美]]。薩摩藩主[[島津重豪]]と[[佐土原藩]]藩主[[島津忠持]]の外祖父。また、11代[[将軍]]・[[徳川家斉]]の[[御台所]]・[[広大院|茂姫(近衛寔子)]]の曽祖父。 |
'''島津 貴儔'''(しまづ たかとも)は[[薩摩藩]]士。家格は初め一所持、のち一門家。垂水島津家9代目当主。薩摩藩主[[島津吉貴]]3男。薩摩藩主[[島津継豊]]同母弟。正室は垂水島津家当主・島津忠直([[島津綱貴]]三男)の次女・鎌鶴。幼名は小源太。通称は玄蕃、備中、備前。号は静山。娘に[[島津都美]]。薩摩藩主[[島津重豪]]と[[佐土原藩]]藩主[[島津忠持]]の外祖父。また、11代[[将軍]]・[[徳川家斉]]の[[御台所]]・[[広大院|茂姫(近衛寔子)]]の曽祖父。 |
||
[[元文]]2年([[1737年]])7月18日に父より「貴」の字を与えられて「貴儔」と改め、同3年([[1738年]])5月、婿で加治木島津家の島津久門(後の[[島津重年]])とともに家格一所持から新設された家格の一門家の初めとなる。 |
[[元文]]2年([[1737年]])7月18日に父より「貴」の字を与えられて「貴儔」と改め、同3年([[1738年]])5月、婿で加治木島津家の島津久門(後の[[島津重年]])とともに家格一所持から新設された家格の一門家の初めとなる。 |
||
11行目: | 11行目: | ||
兄弟;島津継豊、島津貴澄(異母弟、後に貴儔養子、垂水島津家10代目当主) |
兄弟;島津継豊、島津貴澄(異母弟、後に貴儔養子、垂水島津家10代目当主) |
||
正室・正室・鎌鶴(垂水島津家当主・島津忠直(島津綱貴三男)の次女) |
|||
2008年4月24日 (木) 22:22時点における版
島津 貴儔(しまづ たかとも)は薩摩藩士。家格は初め一所持、のち一門家。垂水島津家9代目当主。薩摩藩主島津吉貴3男。薩摩藩主島津継豊同母弟。正室は垂水島津家当主・島津忠直(島津綱貴三男)の次女・鎌鶴。幼名は小源太。通称は玄蕃、備中、備前。号は静山。娘に島津都美。薩摩藩主島津重豪と佐土原藩藩主島津忠持の外祖父。また、11代将軍・徳川家斉の御台所・茂姫(近衛寔子)の曽祖父。
元文2年(1737年)7月18日に父より「貴」の字を与えられて「貴儔」と改め、同3年(1738年)5月、婿で加治木島津家の島津久門(後の島津重年)とともに家格一所持から新設された家格の一門家の初めとなる。
宝暦5年(1755年)の『嶋津家分限帳』では「嶋津備中 1万7104石」とある。当時、一門家筆頭の加治木家が当主不在のために事実上の一門家筆頭であり、重豪数少ない肉親でもある。
家族
兄弟;島津継豊、島津貴澄(異母弟、後に貴儔養子、垂水島津家10代目当主)
正室・正室・鎌鶴(垂水島津家当主・島津忠直(島津綱貴三男)の次女)
子;都美(島津重年の妻、島津重豪母)
末川久救(次男、垂水島津家次男家末川家開祖)
梅(島津久柄正室、島津重豪養妹として嫁ぐ)
川上久致(4男、川上嫡家19代目当主)
島津久兼(5男、永吉島津家次男家4代目当主)