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2008年4月15日 (火) 23:33時点における版
黎利(れい り、Lê Lợi(レ・ロイ)、1385年 - 1433年)は、ベトナムの後黎朝(Nhà Hậu Lê)大越国の初代皇帝(在位: 1428年 - 1433年)。レ・タイ・ト(Lê Thái Tổ、黎太祖)の廟号でも知られる。諡号は高皇帝。
もとベトナム中部タインホアのラムソン(藍山)の豪族であったが、明の永楽帝によるベトナム侵攻・支配に抵抗。1416年、のち重臣となるグエン・チャイ(阮薦)らとともに、ラムソンで挙兵に及ぶ(藍山起義)。1418年にはビンディン・ウォン(平定王)と称する。以後、10年に及ぶ明への抵抗運動を続け、明をベトナムから撤退させることに成功。1428年、正式に明から独立し、ドンドー(東都、現ハノイ)で帝位に就き、黎(レ)朝を創始、国号を「大越」とした。宰相グエン・チャイらの補佐のもと、国家制度の整備を行い、均田制・科挙制なども導入、諸法典の整備に取り組んだ。また、明との関係修復を図ったものの、名目上陳氏の末裔として担いだ陳暠を殺害したことや、「反乱軍の首魁」を冊封することへ抵抗感などからの反対論が明宮廷で大勢を占めたため、「権署安南国事」への任命に留まり、在世中は安南国王に封ぜられることはなかった。1433年に死去。子の黎元龍が継ぎ太宗となる。
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