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'''トーマス・ハーディ''' [[メリット勲章|OM]]('''Thomas Hardy OM''', [[1840年]][[6月2日]] - [[1928年]][[1月11日]])は[[イギリス]]の[[作家]]で[[詩人]]。[[ドーセット州]]出身。若い頃は敬虔なキリスト教徒で、日曜には家族とともに教会でヴァイオリンを演奏することもあった。しかし、[[ダーウィン]]著の『[[種の起源]]』により、懐疑的になる。牧歌的な描写に長け、ウェセックス地方(現在のドーチェスター一帯)を物語の舞台とした作品が多く、その作風は[[宿命論]]を想起させるものが多い。若い頃は[[建築家]]をしていたが、1868年に最初の作品『貧乏人と淑女』を執筆した。1892年に『[[ダーバヴィル家のテス]]』を、そして95年に『[[日陰者ジュード]]』を発表するが、これらは酷評され、以後は詩作に専念するようになったといわれている。死去の際には国葬が行われた。身体は後妻との傍に葬られ、心臓は前妻と墓に埋葬された。 |
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2008年3月22日 (土) 18:32時点における版
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トーマス・ハーディ OM(Thomas Hardy OM, 1840年6月2日 - 1928年1月11日)はイギリスの作家で詩人。ドーセット州出身。若い頃は敬虔なキリスト教徒で、日曜には家族とともに教会でヴァイオリンを演奏することもあった。しかし、ダーウィン著の『種の起源』により、懐疑的になる。牧歌的な描写に長け、ウェセックス地方(現在のドーチェスター一帯)を物語の舞台とした作品が多く、その作風は宿命論を想起させるものが多い。若い頃は建築家をしていたが、1868年に最初の作品『貧乏人と淑女』を執筆した。1892年に『ダーバヴィル家のテス』を、そして95年に『日陰者ジュード』を発表するが、これらは酷評され、以後は詩作に専念するようになったといわれている。死去の際には国葬が行われた。身体は後妻との傍に葬られ、心臓は前妻と墓に埋葬された。