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2007年7月10日 (火) 09:50時点における版
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ジョン・キリアン・ヒューストン・ブラナー(John Kilian Houston Brunner、1934年9月24日 - 1995年8月26日)は、多作で知られたイギリスのSF作家。
彼はオックスフォードシャーの Preston Crowmarsh で生まれ、チェルトナムで育った。17歳のときにジル・ハントの筆名で Galactic Storm という処女長編小説を書いたが、専業作家となったのは1958年である。1953年から1955年の間イギリス空軍で働き、1958年に結婚。
初期の作風は普通のスペースオペラであったが、後に実験的な小説を書くようになる。1968年の小説 Stand on Zanzibar (未訳)は1969年のヒューゴー賞長編小説部門を受賞し、現在でも古典的名作とされている。
ブラナーの最も有名な作品は、1975年の先駆的サイバーパンク作品とも言える『衝撃波を乗り切れ』(The Shockwave Rider)であろう。この作品では彼は「ワーム」(コンピュータネットワーク上で複製を作って増殖するソフトウェア))という用語を生み出した。また、この作品はアルビン・トフラーの『未来の衝撃』を読んで影響を受けたブラナーが書き、逆に『衝撃波を乗り切れ』を読んでトフラーが『第三の衝撃』を書いたことでも有名である。
彼の健康は1980年代に衰えはじめ、1986年に彼の妻が亡くなると自身の健康状態も悪化した。1991年に再婚。ブラナーはスコットランドのグラスゴーで開催されていたワールドコンに参加中に心臓発作で亡くなった。
邦訳作品リスト
- 『次元侵略者』Meeting at Infinity (1961年)
- 『テラの秘密調査官』Secret Agent of Terra (1962年)
- 『銀河系の悪魔 スーパー・バーバリアン』The Super Barbarians (1962年)
- 『幻影への脱出』The Dreaming Earth (1963年)
- 『テレパシスト』The Whole Man (1964年, 後に Telepathist と改題)
- 『星は人類のもの連盟』The Long Result (1965年)
- 『流れ星をつかまえろ』Catch a Falling Star (1968年)
- 『原始惑星への脱出』Polymath (1974年)
- 『衝撃波を乗り切れ』The Shockwave Rider (1975年)
※Stand on Zanzibar (1968年) を始めとして多くの未訳長編がある。短編はいくつかが邦訳されている。