「シャルル・ド・ヴァロワ (オルレアン公)」の版間の差分
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2007年6月23日 (土) 10:57時点における版
オルレアン公シャルル1世・ド・ヴァロワ(Charles I de Valois, duc d'Orleans, 1394年11月24日 - 1465年1月5日)は、フランスの貴族、王族。シャルル・ドルレアン(Charles d'Orléans)とも呼ばれる。オルレアン公ルイ・ド・ヴァロワ(フランス王シャルル6世の弟)とヴァレンティーナ・ヴィスコンティの第4子。シャルル5世の孫。ルイ12世の父にあたる。詩人としても知られる。
1406年、シャルル6世の長女イザベルと結婚するが、翌年死別。1407年にブルゴーニュのジャン無畏公に父を暗殺され、その暗殺の正当性を王に認めさせたため、ベルナール・ダルマニャック(2度目の妻ボンヌの父)とともに父の報復をはかった。1415年、イングランドのヘンリー5世はこの内乱に乗じ、アジャンクールの戦いでフランス軍を破ったが、この時シャルルは多数の貴族とともに捕虜となり、イングランド各地、主にウィンザー、パンティクラフト、ウィングフィールドで幽閉された。「獄屋の歌」をこの時期に記している。
1414年、莫大な身代金を払って解放され、帰国後ブルゴーニュ公と和解し、彼の姪マリー・ド・クレーヴと3度目の結婚をした。マリーの生んだ子がルイ12世となる。その後、フランスとイングランドの和平に奔走し、また、1447年に母ヴァレンティーナの相続権を盾にミラノを攻略しようとしたが失敗した。1450年に政治から離れ、ブロワ城に引退した。