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[[大化の改新]]以前に、[[蘇我蝦夷]]・[[蘇我入鹿|入鹿]]親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという。2007年2月1日、東麓遺跡において7世紀前半から中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、蘇我氏の邸宅跡ではないかと注目されている。
[[大化の改新]]以前に、[[蘇我蝦夷]]・[[蘇我入鹿|入鹿]]親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという。2007年2月1日、東麓遺跡において7世紀前半から中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、蘇我氏の邸宅跡ではないかと注目されている。


古くから誓盟の神が鎮座した。允恭天皇のとき、くかたちが行われた。
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[[Category:奈良県の建築物・観光名所|あまかしのおか]]
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2007年5月12日 (土) 01:31時点における版

甘樫丘

甘樫丘(あまかしのおか)は、奈良県高市郡明日香村豊浦にある丘陵のこと。

東西に数百メートル、南北に1kmほど広がっている。丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区となっている。丘の北側に展望台があり、大和三山藤原京などの風景を望むことができる。

大化の改新以前に、蘇我蝦夷入鹿親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという。2007年2月1日、東麓遺跡において7世紀前半から中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、蘇我氏の邸宅跡ではないかと注目されている。

古くから誓盟の神が鎮座した。允恭天皇のとき、くかたちが行われた。