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2007年4月19日 (木) 12:49時点における版
山川菊栄(山川 菊榮、やまかわきくえ、1890年(明治23年)11月3日 - 1980年(昭和55年)11月2日)は日本の評論家・婦人問題研究家である。
旧姓は青山。東京生れ。山川均の妻。日本の婦人運動に初めて科学を持ち込んだ。多くの評論集は、日本における女性解放運動の思想的原点と評される。
経歴
- 1912(明治45)女子英学塾(現:津田塾大学)卒業。
- 1915(大正4)堺利彦・幸徳秋水らの金曜講演会、大杉栄らの平民講演会を通して社会主義を学ぶ。
- 1916(大正 5)社会主義運動家山川均と結婚。
- 1918(大正 7)ころから始まった母性保護論争に参加、社会主義の立場から平塚らいてう・伊藤野枝らの運動を批判。女性論壇の第一人者となる。
- 1921(大正10)4月、日本で最初の社会主義婦人団体「赤瀾会」を結成、同年メーデーに初参加。
- 1947(昭和22)日本社会党に入党。同年労働省が新設され、9月1日同省婦人少年局の初代局長に就任。
- 1962(昭和37)田中寿美子らと婦人問題懇話会を設立。
- 1980(昭和55)死去
- 1981年(昭和56)彼女の業績を記念して、山川菊栄賞設立。