潮田資忠
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正18年4月18日(1590年5月21日) |
官位 | 出羽守 |
主君 | 北条氏政→氏直 |
氏族 | 清和源氏頼光流太田氏(岩槻太田氏)→潮田氏 |
父母 |
父:太田資正、母:潮田氏娘 養父:潮田常陸介? |
兄弟 |
太田氏資、梶原政景、太田資武、 太田景資[1]、資忠、成田氏長室、 多賀谷重経室 |
子 | 資勝、資政 |
潮田 資忠(うしおだ すけただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。武蔵国寿能城[2]主。
略歴
[編集]太田資正の五男[3]として誕生し、母方の潮田氏を継いだ。太田氏の親族潮田常陸介の養子になったという説もある。
当初は父の資正に従ったが、兄の太田氏資が父を追放して以降は兄に従った。永禄3年(1560年)、寿能城を築いた。小田原征伐には嫡男の資勝と共に小田原城に馳せ参じ籠城し、外郭の井細田口の守備をし討死した。
次男の資政は寿能城より脱出し、伯父の太田資武の庇護を受けたのち土井利勝に仕え、古河藩家老となり、子孫は存続した。