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潘昌煦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
潘昌煦
プロフィール
出生: 1877年光緒3年)
死去: 1958年1月13日
中華人民共和国江蘇省蘇州市
出身地: 清の旗 江蘇省蘇州府呉県
職業: 法学者・裁判官・政治家
各種表記
繁体字 潘昌煦
簡体字 潘昌煦
拼音 Pān Chāngxŭ
ラテン字 P'an Ch'ang-hsü
和名表記: はん しょうく
発音転記: パン・チャンシュー
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潘 昌煦(はん しょうく)は、中華民国中華人民共和国の裁判官・法学者・政治家。北京政府時代に、司法分野の要職をつとめた人物である。春暉。号は由笙芯廬

事跡

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1898年光緒24年)、戊戌科進士となる。日本に留学後、翰林院編修、国史館協修、編査処協修、武英殿協修を歴任した。

中華民国成立後には、法制局参事となった。1915年民国4年)11月、司法官懲戒委員会委員となり、翌月、大理院推事兼庭長に異動している。1922年(民国11年)5月、代理大理院長を兼ねた。その後、大総統府顧問に異動し、さらに私立燕京大学法律系教授となる。

1929年(民国18年)、国立清華大学政治系講師となった。1933年(民国22年)、帰郷している。日中戦争(抗日戦争)勃発後は、張一麐とともに、難民救済会を組織している。

中華人民共和国成立後も大陸に留まっている。蘇州市人民代表会議代表を経て、1953年、第1期全国人民代表大会代表に当選した。

1958年1月13日、蘇州市(現在の姑蘇区)にて病没。享年82。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
董康
大理院長(代理)
1922年5月
次代
羅文幹