源満国
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時代 | 平安時代中期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位下、伊豆掾、遠江介、甲斐守[1] |
氏族 | 清和源氏満快流 |
父母 | 父:源満快、母:不詳 |
兄弟 | 満国、行頼(行満)、頼季[2]、平維衡室[3] |
妻 | 不詳 |
子 | 為満 |
源 満国(みなもと の みつくに)は、平安時代中期の武士。源満快の長男。
略歴
[編集]詳しい事績は不明であるが、永延元年(987年)頃、摂津国能勢郡宿野に撰見の館を築き居住したとされる[4]。また遠江守在任時[5]であった長徳年間(995年 - 998年)頃、勅命に背いたとして三河国に配流され、同国刈宿(現在の愛知県西尾市刈宿)の地に亡き母の菩提を弔うための寺院のほか神社を建立したと伝えられる(現在の常福寺および熊野神社[6])。
嫡子・為満は源頼信(満国の従兄弟)の娘を娶り河内源氏と姻戚関係を結んだ。
脚注
[編集]- ^ 『尊卑分脈』。
- ^ 伯父満仲の子・頼平と同一人物とも。
- ^ 『三浦和田中条家文書』所収「桓武平氏諸流系図」。
- ^ なお、撰見の館は後に七星城(別名・宿野城)と呼ばれる山城として整備され、鎌倉時代には田口氏が城主となり、戦国時代には多田氏が居城としていた。
- ^ 『尊卑分脈』の記載では遠江介。
- ^ 熊野神社の社伝では満国の家人・加藤行信、倉内貞道の子孫らがこの地に住し鎮守の神としたとある。
参考文献
[編集]- 「七星城」『日本城郭全集』9巻(人物往来社、1967年)
- 「熊野神社」『愛知県神社名鑑』(愛知県神社庁、1992年)
- 「清和源氏(上)」『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集』8 (吉川弘文館・近代デジタルライブラリー)
- 「桓武平氏諸流系図」『中条町史 資料編 第1巻 (考古・古代・中世)』(中条町、1982年)