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池田 輝廉(いけだ てるきよ)は、江戸時代中期の備中国生坂藩の世嗣。官位は従五位下・大隅守。
初代藩主・池田輝録の次男として誕生。母は石原氏。初名は輝致(てるむね)。
生坂藩嫡子として育ち、元禄9年(1696年)徳川綱吉に御目見した。元禄15年(1702年)叙任するが、宝永3年(1706年)に20歳で早世した。
代わって、本家岡山藩主・池田綱政の次男・池田軌隆の長男である政晴が養子に迎えられ、嫡子となった。