江原三郎

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江原 三郎
えはら さぶろう
生年月日 1894年1月30日
出生地 栃木県下都賀郡絹村(現:小山市
没年月日 1965年3月4日(満71歳没)
出身校 東京帝国大学独法科卒業
前職 弁護士

当選回数 1回
在任期間 1944年12月31日 - 1946年10月15日

当選回数 1回
在任期間 1937年4月30日 - 1942年4月30日
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江原 三郎(えはら さぶろう、1894年明治27年)1月30日[1][2] - 1965年昭和40年)3月4日[3])は、日本政治家弁護士栃木県宇都宮市長衆議院議員などを歴任。

経歴[編集]

下都賀郡絹村に塚原金吾の三男として生まれ、衆議院議員江原節の養子となった[4][5]東京帝国大学独法科を卒業し弁護士となる[1]。宇都宮市会議員を経て、1935年昭和10年)9月から1937年(昭和12年)5月まで宇都宮市選出の栃木県会議員を務める[4][6]。1937年から栃木1区選出の立憲政友会の衆議院議員を1期務めた[7]

1944年(昭和19年)12月31日宇都宮市長に就任[1]1945年(昭和20年)7月、宇都宮大空襲により同市は甚大な被害を受け市役所も焼失した[1]。江原は被災者救済や復興に尽力し、1946年(昭和21年)10月15日に市長を退職した[1]。間もなく公職追放となった[8]。追放解除後の1957年(昭和32年)には栃木県教育委員会委員に就任している[4]

1965年(昭和40年)3月4日、死去した。71歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『日本の歴代市長 第一巻』,576頁
  2. ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年(昭和12年)、12頁。
  3. ^ 『栃木県人物・人材情報リスト』,63頁
  4. ^ a b c 『栃木県歴史人物事典』,106頁
  5. ^ 『人事興信録』
  6. ^ 『栃木県史 通史編6 近現代1』,1040-1041頁
  7. ^ 『栃木県史 通史編6 近現代1』,1063-1064頁
  8. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、44頁。NDLJP:1276156 

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。 
  • 『日本の歴代市長 第一巻』歴代知事編纂会 、1983年11月25日。
  • 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社 、1995年7月27日。
  • 『栃木県史 通史編6 近現代1』 栃木県、1982年8月31日。
  • 『栃木県人物・人材情報リスト』日外アソシエーツ 、1994年6月。
先代
入江操
宇都宮市長
第16代:1944年 - 1946年
次代
横倉正吉