永次廣
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永次 廣 ながつぎ ひろし | |
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生誕 |
1937年2月18日 日本・長崎県長崎市 |
死没 | 2017年7月21日(80歳没) |
永次 廣(ながつぎ ひろし、1937年2月18日[1] - 2017年7月21日[2])は、日本の実業家。元安川電機会長、安川情報システム(現:YE DIGITAL)社長。長崎県長崎市出身[3]。
経歴
[編集]1937年長崎県生まれ。1959年長崎大学経済学部卒業後、安川電機製作所(現:安川電機)に入社[3]。取締役企画部長などを経て、1989年安川情報システム社長[1]、1994年常務、1995年専務、1996年副社長[3]。1999年3月期に経常赤字となるなど業績が悪化したことを受け、橋本伸一社長の下で中期経営計画を進め、産業用電気機器をはじめとした不採算部門からの撤退やロボット事業など得意とする事業分野の強化を行なった[3][4][5]。2000年に会長就任。就任記者会見では、中山眞社長とともに中期経営計画を完結させたいと述べた[6]。また、北九州市や福岡県における財界活動にも力を入れ、北九州活性化協議会理事長(後に会長)、北九州商工会議所副会頭、福岡経済同友会代表幹事などを歴任。2004年3月に安川電機会長を退き、同年6月に同社特別顧問に就いた[7]。
県行政とも関わりがあり、福岡県人事委員会委員長を務めた[8]。2009年12月には福岡県町村会による汚職問題の発覚を受けて設けられた「町村会に係る職員倫理調査委員会」メンバーに外部有識者として選ばれ[9]、互選により委員長を務めることとなった。捜査権がない中で調査を進め、2010年3月に最終報告書を麻生渡知事に提出した[10]。
人物
[編集]略歴
[編集]- 1959年3月 - 長崎大学経済学部卒業
- 1959年4月 - 安川電機製作所入社
- 取締役企画部長などを経て
- 1989年5月 - 安川情報システム社長
- 1994年3月 - 安川電機常務取締役(管理管掌)
- 1995年6月 - 同専務取締役
- 1996年12月 - 同副社長
- 2000年3月 - 同会長
- 2004年3月 - 同取締役
- 2004年6月 - 同特別顧問
委員歴等
[編集]- 北九州活性化協議会理事長(2000年 - 2004年)
- 福岡県工業技術センタークラブ会長(2001年 - 2007年)
- 福岡経済同友会代表幹事(2001年 - 2007年)
- 北九州商工会議所副会頭(2004年 - 2007年)
- 九州経済同友会代表委員(2006年 - 2007年)
- 福岡県人事委員会委員長
- 町村会に係る職員倫理調査委員会委員長
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 人物・人材情報リスト 1994, p. 191.
- ^ “訃報 永次廣さん80歳=元安川電機会長”. 毎日新聞 (2017年8月1日). 2017年8月1日閲覧。
- ^ a b c d e 「ズームアップインタビュー 北九州活性化協議会理事長 永次廣氏(安川電機会長)「市民満足の向上を活性化の重要指標に」」 『財界九州』41(6)、2000年、69-72頁。
- ^ 「安川電機社長に中山眞氏-永次廣副社長は会長に昇格」 『毎日新聞』2000年3月1日付西部版朝刊、1面。
- ^ 「安川電機の新社長に中山眞氏 会長には永次廣氏就任へ」 『朝日新聞』2000年3月1日付朝刊、2面。
- ^ 「人事制度改革に着手-安川電機・新社長記者会見」 『毎日新聞』 2000年3月1日付西部版朝刊、経済面。
- ^ “役員人事について”. 安川電機. 2016年7月17日閲覧。
- ^ 「福岡県人事委:給与引き下げ勧告 一般職、平均年間2.4%」 『毎日新聞』 2009年10月5日付西部版夕刊、1面。
- ^ 「福岡県が調査委設置 来月5日にも初会合 裏金接待」 『朝日新聞』2009年12月24日付西部版夕刊、1面。
- ^ 「裏金接待、再発防止論戦へ 調査委が最終報告」 『朝日新聞』2010年3月22日付朝刊、福岡面。
参考文献
[編集]- 日外アソシエーツ編『長崎県人物・人材情報リスト 1994』日外アソシエーツ、1994年。