水野守政
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水野 守政(みずの もりまさ、元和9年(1623年) - 正徳5年12月16日(1716年1月10日))は、江戸時代前期の旗本。池田光仲家臣・荒尾重就の子。水野守信の養子。初名は守行。通称は左京、半左衛門。官位は従五位下、伊豆守、備中守。室は内藤正勝の娘。子に水野忠矩(長男)、内藤清枚(次男)、成瀬正章室。養子に水野忠慎(荒尾帯刀某の子)。
来歴
[編集]祖父の養子となり、寛永8年(1631年)2月15日、将軍徳川秀忠に拝謁した。寛永14年12月8日(1638年)、守信の没後に家督を継いだ。
万治2年(1659年)8月21日、永井直孟とともに定火消に任命され、12月28日布衣を着ることを許された。延宝元年(1673年)4月14日、持筒頭となり、延宝4年(1676年)3月4日、百人組頭となる。天和2年(1682年)4月21日、700石加増され計5700石となった。封地は河内国交野、丹南、錦部、近江国野洲、栗太、蒲生、甲賀の8郡。
貞享2年(1685年)12月29日、旗本最高役職ともされる大目付に就任し、従五位下・伊豆守に叙任された。貞享4年(1687年)8月21日、留守居となった。元禄元年(1688年)3月10日、罪を得て小普請に落とされ、出仕を止められた。翌元禄2年(1689年)6月4日許された。
正徳5年(1715年)に93歳で没し、家督は養子の忠慎が継いだ。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜 巻第339』