歌川芳雪

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歌川 芳雪(うたがわ よしゆき、生没年不詳)とは、江戸時代浮世絵師

来歴[編集]

歌川国芳の門人。通称は孝太郎、歌川の画姓を称し一嶺斎(いちりょうさい)と号す。江戸の人で本所一ツ目の船宿八幡屋の子。作画期は天保から文久の頃にかけてで、武者絵を良く描いた。国芳門下の美男子といわれ、国芳と特に親密にしており、下絵を国芳に請い菊慈童の刺青を全身朱色入りで刺し上げたという。深川芸者を妻とし代地河岸にて料理屋を営んだが失敗、その結果金策と称して妻は家出し、芳雪自身は精神に異常をきたして文久年間に自刃したと伝わる。なお全くの別人であるが、大坂に歌川芳梅の門人で南粋などと号した森芳雪がいる。

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 財団法人茅ヶ崎市文化振興財団 茅ヶ崎市美術館編集・発行 『共催展 藤沢市所蔵 浮世絵展 ―宿場・江の島・東海道―』 2009年4月、pp.16,40。

参考文献[編集]

  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
  • 吉田漱 『浮世絵の基礎知識』 大修館書店、1987年
  • 柏木智雄・内山淳子・片多祐子 『はじまりは国芳 江戸スピリットのゆくえ』 大修館書店、2012年 ※横浜美術館企画・監修

関連項目[編集]