横山村 (宮城県)
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よこやまむら 横山村 | |
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廃止日 | 1954年11月3日 |
廃止理由 |
新設合併 横山村、柳津町 → 津山町 |
現在の自治体 | 登米市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 本吉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 36.29 km2 |
総人口 |
2,959人 (『宮城県町村合併誌』、1954年11月2日) |
隣接自治体 |
本吉郡:横山村、入谷村、戸倉村、 登米郡:登米町 桃生郡:橋浦村 |
横山村役場 | |
所在地 | 宮城県本吉郡横山村 |
座標 | 北緯38度37分56秒 東経141度21分03秒 / 北緯38.63214度 東経141.35092度座標: 北緯38度37分56秒 東経141度21分03秒 / 北緯38.63214度 東経141.35092度 |
ウィキプロジェクト |
横山村(よこやまむら)は、昭和29年(1954年)まで宮城県本吉郡の南西部にあった村。現在の登米市津山町横山にあたる。
歴史・沿革
[編集]- 1875年(明治8年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、北沢村と南沢村が合併して横山村が成立。村名は気仙道の宿駅・横山宿に由来。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、横山村単独で村制施行。
- 1947年(昭和22年)4月17日 - 山火事が集落へ延焼して大火となる。死者3人、家屋175戸が全焼[1]。
- 1954年(昭和29年)11月3日 - 柳津町と合併し、津山町となる。
行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 大森国助 | 明治22年(1889年)4月 | ||
2 | 後藤徳松 | 明治26年(1893年)4月 | ||
3 | 辺見幾之助 | 明治27年(1894年)6月 | ||
4 | 山田直作 | 明治32年(1899年)8月 | ||
5 | 佐々木源助 | 明治35年(1902年)3月 | ||
6 | 佐々木松治 | 明治37年(1904年)3月 | ||
7 | 後藤治右ェ門 | 明治38年(1905年)6月 | ||
8 | 佐藤寅之助 | 明治38年(1905年)9月 | ||
9 | 大森国助 | 明治40年(1907年)1月 | 再任 | |
10 | 山田東治郎 | 明治44年(1911年)4月 | ||
11 | 佐々木芳三郎 | 大正元年(1912年)12月 | ||
12 | 伊藤熊治 | 大正6年(1917年)6月 | ||
13 | 阿部勇助 | 大正10年(1921年)7月 | ||
14 | 西条文之助 | 大正13年(1924年)2月 | ||
15 | 阿部勇助 | 昭和3年(1928年)10月 | 再任 | |
16 | 伊藤熊治 | 昭和7年(1932年)10月 | 再任 | |
17 | 西条文之助 | 昭和9年(1934年)4月 | 再任 | |
18 | 佐々木京助 | 昭和13年(1938年)5月 | ||
19 | 佐々木寅一 | 昭和19年(1944年)8月 | ||
20 | 伊藤博 | 昭和21年(1946年)12月 | ||
21 | 西条善蔵 | 昭和22年(1947年)4月 | ||
22 | 伊藤博 | 昭和26年(1951年)4月 | 昭和29年(1954年)11月2日 | 再任 |
脚注
[編集]- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、67頁。ISBN 9784816922749。
参考文献
[編集]- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)