椿貞良
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つばき さだよし 椿 貞良 | |
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生誕 | 1936年10月4日 |
死没 | 2015年12月10日(79歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京学芸大学英語学科 |
職業 | ジャーナリスト |
椿 貞良(つばき さだよし、1936年(昭和11年)10月4日[1] - 2015年(平成27年)12月10日[2])は、日本のジャーナリスト、テレビ朝日取締役。偏向報道を疑われた椿事件を引き起こした。
人物・経歴
[編集]年表 | 経歴 |
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1960年4月 | 東京学芸大学英語科卒業後、日本教育テレビ(現・テレビ朝日)に入社[3] |
同局入社後 | 政治部畑を中心にワシントン特派員、報道部外報担当デスク、北京支局長など歴任[1][3] |
1980年10月 - 1982年3月 | 『ANNニュースファイナル』月~木曜日政治関連キャスター |
1989年 | 報道局次長を経て同局長 |
1993年6月以降 | 取締役を兼任した[1] |
2015年12月10日 | 死去[2]、79歳没 |
椿事件
[編集]→詳細は「椿事件」を参照
椿は取締役報道局長に在任中の1993年(平成5年)9月、日本民間放送連盟の会合で、総選挙期間中に非自民政権樹立を促す報道姿勢であった旨を発言。これが産経新聞の報道によって表面化し、偏向報道を禁じる放送法に違反した可能性を指摘された。これにより、椿は10月に取締役と報道局長職を解任された。
10月25日、椿はこの問題で衆議院による証人喚問を受け、軽率な発言を陳謝したが、社内への報道内容の具体的な指示については一貫して否定し、あくまで偏向報道は行っていないとした。また27日には伊藤邦男社長が衆議院で参考人として証言した[4]。当時の郵政省はテレビ朝日の免許取り消しも検討したが、最終的に行政処分とした。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 嶌信彦『メディア 影の権力者たち』講談社、1995年4月。ISBN 978-4062076289。
関連項目
[編集]- 放送法
- メディア・リテラシー
- 渡邉恒雄 - 椿のワシントン特派員時代からの友人。椿事件以降、椿のことを厳しく批判している[要出典]。
- 川村晃司