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松浦薫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松浦薫
まつうら かおる
生年月日 1904年4月4日
出生地 日本の旗 日本 香川県綾歌郡松山村
(現・香川県坂出市
没年月日 (1975-07-23) 1975年7月23日(71歳没)
出身校 東京帝国大学工学部土木工学科卒業
前職 四国瓦斯取締役
所属政党 日本自由党
親族 兄・松浦伊平(衆議院議員)

選挙区 香川全県区
当選回数 1回
在任期間 1946年4月10日 - 1947年3月31日

当選回数 1回
在任期間 1969年7月12日 - 1973年7月11日
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松浦 薫(まつうら かおる、1904年明治37年)4月4日[1] - 1975年昭和50年)7月23日[2])は、昭和期の実業家政治家衆議院議員香川県坂出市長

経歴

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香川県綾歌郡松山村(現坂出市大屋冨町)出身[3]。1930年(昭和5年)3月[注 1]東京帝国大学工学部土木工学科を卒業した[2][4]

兄・伊平の創業した松浦組[3]に入り、同支配人、満州松浦組専務取締役、松浦工業専務取締役、四国瓦斯取締役などを務めた[2]

1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙で香川県選挙区から出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた[2]。この間、日本自由党幹事に就任した[2]

その後、高松市助役を務め[2]、1969年(昭和44年)7月12日、坂出市長に就任した[1]。鎌田春吉・前市長からの継承で工場誘致に尽力し、アジア石油(現コスモ石油)、吉田工業(YKK)、三菱化成工業(現三菱化学)などの工場誘致を実現した[1]。また、市公害条例の制定、市民憲章の制定、市の木「珊瑚樹」の制定を行った[1]。市長を1期務めて1973年(昭和48年)7月11日に退任した[1]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』592頁では昭和4年。

出典

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  1. ^ a b c d e 『日本の歴代市長』第3巻、323頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』592頁。
  3. ^ a b c 「松浦伊平」『香川県大百科事典』864頁。
  4. ^ 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 昭和5年度』東京帝国大学、1930年、550頁。

参考文献

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  • 『香川県大百科事典』四国新聞社、1984年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。