松広寺
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松広寺 | |
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大雄宝殿 | |
所在地 | 全羅南道順天市松光面新坪里12番地 |
山号 | 曹渓山 |
宗派 | 曹渓宗(華厳宗⇒曹渓宗⇒禅宗⇒曹渓宗) |
寺格 |
曹渓宗三宝寺院 曹渓宗五大叢林(曹渓叢林) 曹渓宗第21教区本寺 朝鮮三十一本山(日本統治時代) |
本尊 | 三世仏(蓮灯仏、釈迦仏、弥勒仏) |
創建年 | 創建年不詳(新羅時代末期) |
開基 | 慧麟(創建したのは吉祥寺) |
正式名 | 松広寺 |
文化財 |
木彫三尊仏龕(国宝第42号) 高麗高宗制書(国宝第43号) 国師殿(国宝第56号) |
松廣寺 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 송광사 |
漢字: | 松廣寺 |
発音: | ソングァンサ |
日本語読み: | しょうこうじ |
松広寺(しょうこうじ、ソングァンサ、송광사)は、大韓民国の全羅南道順天市にある仏教寺院。
韓国仏教の最大勢力である曹渓宗の発祥地。また曹渓宗の三宝寺院、五大叢林(曹渓叢林)に数えられている。曹渓宗の第21教区本寺。
曹渓宗の開祖である知訥(1158年 - 1210年)はその晩年の10年間を松広寺で過ごした。高麗時代に16人の国師を輩出したことから、僧宝寺刹と呼ばれる。
歴史
[編集]曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)は、新羅時代末期に慧麟が吉祥寺を創建したときをもって、松広寺の創建としている。吉祥寺は華厳宗の寺院だった。1200年、曹渓宗の創始者である知訥が浄慧結社(「結社」というのは高麗中期に活発だった仏教浄化組職)の拠点を吉祥寺に移し、吉祥寺を修禅寺に改名した。寺名は1208年(熙宗4年)にさらに改名され、現在の松広寺になった。
李氏朝鮮の太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に松広寺の名前はなく、廃寺になったようである。 世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、存続を許された36寺院の中にも名前はなく、引き続き廃寺のままだったようである(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。
1842年(憲宗8年)の大火事、1948年の麗水・順天事件、1951年の共匪蛮行等でほとんどの建造物が繰り返し消失し、現在までに8回再建された。ソウルオリンピックをひかえた1984年から1988年にかけて、大規模再建事業によって33の建造物が建てられ、現在の形になった。
日本統治時代の1911年、寺刹令施行規則(7月8日付)によって、朝鮮三十本山に指定された(1924年以降は朝鮮三十一本山)。
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松広寺の大雄殿。1920年頃
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松広寺全景
文化財
[編集]- 木彫三尊仏龕(国宝第42号)
- 『高麗高宗制書』(国宝第43号)
- 国師殿(国宝第56号)
外部リンク
[編集]- 公式サイト(ハングル)
- 松広寺(ソングァンサ) - 韓国観光公社
- 韓国順天 曹渓山松広寺 - 韓国の名刹