日本綿花
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日本綿花株式会社(にほんめんか[1][2])は、かつて存在した日本の専門商社である。改名を経て、現在の大手総合商社・双日の前身企業の一社にあたる。
概略
[編集]明治時代に入り日本で紡績業が盛んになったが、原料となる綿花の輸入は一部の企業や外国商館によって寡占されていた。このため日本人による綿花の調達手段を確保するため、関西の紡績業者や商人である、田中市兵衛、木原忠兵衛、岡橋治助ら20人以上が集まり、1892年(明治25年)に日本綿花株式会社を大阪にて創業した[3][4]。
終夜営業の紡績工場、1日14時間の過酷工場労働により紡績業が発展し、紡績業が発展するにしたがって取引範囲も世界各国に拡大し、やがて食品や雑貨なども取扱うようになった。1912年には紡績業が国内産業の5割を占めるほどになり[5][6][7]、日米貿易摩擦も生じ、1940年には日米通商航海条約廃棄が廃棄される。
1943年(昭和18年)に「日綿実業株式会社」、1982年(昭和57年)に「ニチメン株式会社」と改称し、2004年(平成16 年)に日商岩井と合併し双日株式会社となった[1]。
歴代社長
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “日本綿花(株)『日本綿花株式会社五十年史』(1943.09)”. 渋沢社史データベース. 2015年12月28日閲覧。
- ^ “国・神奈川県および横浜市指定・登録文化財目録” (PDF). 横浜市. 2015年12月28日閲覧。
- ^ “近代日本の礎をつくった大阪の有力財界人”. 双日株式会社. 2015年12月28日閲覧。
- ^ “NHK連続テレビ小説「あさが来た」と双日”. 双日株式会社. 2015年12月28日閲覧。
- ^ 『雨宮製糸争議』 - コトバンク
- ^ 中外商業新報「操業短縮に代る紡績の夜業廃止 一部に起って居るが実現困難」、1924年7月15日(大正13年)。
- ^ 『日本綿花』。双日歴史館。
- ^ 日本綿花 日本綿花発起人の顔ぶれ双日歴史館