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新竹市 (日本統治時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しんちくし
新竹市
新竹市役所(現:新竹市美術館)
新竹市役所(現:新竹市美術館)

新竹市章
1930年(昭和5年)1月20日制定
廃止日 1945年10月25日
廃止理由 中華民国による台湾接収
新竹市新竹市台湾省省轄市
現在の自治体 中華民国の旗 中華民国 台湾省新竹市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 台湾
都道府県 台湾 新竹州
面積 100.59km2.
総人口 92,692
(1942年)
隣接自治体 新竹郡竹北庄
竹東郡竹東街、宝山庄
竹南郡竹南街
新竹市役所
所在地 台湾新竹州新竹市東門町1丁目1番地
座標 北緯24度48分22.5秒 東経120度58分12.3秒 / 北緯24.806250度 東経120.970083度 / 24.806250; 120.970083座標: 北緯24度48分22.5秒 東経120度58分12.3秒 / 北緯24.806250度 東経120.970083度 / 24.806250; 120.970083
地図
ウィキプロジェクト

新竹市(しんちくし)は、日本統治時代の台湾に存在した新竹州に属した。

歴史

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1935年、台湾総督府は市の行政を円滑に進めるために「台湾市制」を改正して市の下部に中国語版を新設した。各区には区長が置かれ、各区における衛生と防災の管理・推進に責任を持つ。新竹市には同年10月1日に区が設置され、1945年時点で25区が存在した。

新竹市各区一覧(1945年時点)[2]
区名 範囲 備注
東門町区 東門町
西門町区 西門町
南門町区 南門町
北門町区 北門町、田町(一部)、湳雅(一部) 1938年10月修正[3]
表町区 表町
栄町区 栄町
花園町区 花園町、東勢(一部)、赤土崎(一部)
黒金町区 黒金町
錦町区 錦町、田町(一部)、水田(一部) 1938年10月修正[3]
新興町区 新興町、客雅(一部)
住吉町区 住吉町、客雅(一部)
宮前町区 宮前町、崙子(一部)
旭町区 旭町
新富町区 新富町、崙子(一部) 1941年10月に新設[4]
埔頂区 東勢、赤土崎、埔頂、柴梳山、金山面
樹林頭区 沙崙、吉羊崙、苦苓腳、湳雅、樹林頭、渓埔子
南寮区 十塊寮、槺榔、油車港
楊寮区 楊寮、虎子山
牛埔区 牛埔、浸水
香山区 香山
香山坑区 香山坑
海山罟区 海山罟、茄苳湖
塩水港区 塩水港、南隘
青草湖区 青草湖
九甲埔区 二十張犁、九甲埔

歴代首長

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氏名 写真 在任期間
新竹市尹
1 山本正一 1930年1月20日 - 1932年4月21日
2 政所重三郎 1932年4月21日 - 1934年9月3日
3 青木健一 1934年9月3日 - 1936年10月20日
4 池田斌 1936年10月20日 - 1937年8月16日
5 吉田駛馬 1937年8月16日 - 1939年12月28日
6 矢野栄治 1939年12月28日 - 1940年10月28日
新竹市長
1 矢野英治 1940年10月28日 - 1942年8月7日
2 水崎格 1942年8月7日 - 1945年7月27日
3 森清吉 1945年7月27日 - 1945年10月25日

施設

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教育

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中等教育

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初等教育

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  • 新竹尋常高等小学校(現:新竹市東区東門国民小学)
  • 新竹第一公学校
  • 新竹第二公学校
  • 新竹第三公学校
  • 新竹第四公学校
  • 住吉公学校
  • 新竹第一幼稚園
  • 新竹第二幼稚園

医療

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  • 台湾総督府立新竹病院
  • 新竹市立北辰病院
  • 新竹市立城西病院

観光

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ギャラリー

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 新竹の沿革”. 新竹市政府. 2024年4月12日閲覧。
  2. ^ “新竹市區設置規程”. 新竹市報 (臺灣新聞). (1935年9月30日) 
  3. ^ a b “新竹市告示第19號”. 新竹市報 (臺灣新聞). (1938年10月6日) 
  4. ^ “新竹市告示第32號”. 新竹市報 (臺灣新聞). (1941年10月1日)