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徳川家茂付き大奥女中

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

徳川家茂付き大奥女中(とくがわいえもちつき おおおくじょちゅう)では、江戸幕府14代将軍徳川家茂に仕えた大奥女中を詳述する。なお紹介は史料上の最終役職順で羅列する。

上臈御年寄

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万里小路(までのこうじ)


飛鳥井(あすかい、1818年 - 1888年)は、幕末の江戸幕府大奥女中。平松時門の娘。宿元は三枝靭負徳川家定の世子時代から上臈御年寄として西の丸に仕え、嘉永6年(1853年)家定が将軍となると本丸に移る。安政5年(1858年)家定が没すると、継いで将軍となった家茂付きの上臈御年寄筆頭となった。文久3年(1863年)11月隠居。慶応2年(1866年)家茂が没すると出家した。


花園(はなぞの、生没年不詳)は、幕末の江戸幕府大奥女中。宿元は本多主殿正

出身は京都。上臈御年寄は公家の娘を出自とすることが多いので、花園も同様と思われる。文久2年(1862年)14代将軍徳川家茂の正室として下降した和宮に従って江戸城に入り、家茂の上臈御年寄を勤めた。文久3年(1863年)他の大奥女中らとともに大奥を解雇され、京都へ戻った。

御年寄

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瀧山(たきやま)