張徽光

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張皇后
前趙の皇后
在位 312年 - 313年

全名 張徽光
別称 武孝皇后
死去 嘉平3年(313年
配偶者 昭武帝
父親 張寔
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張 徽光(ちょう きこう、? - 313年)は、前趙の昭武帝劉聡の皇后。劉聡の母である張皇太后の姪で、劉聡の母方の従妹にあたる。

生涯[編集]

張寔(張皇太后の弟)の娘として生まれた。312年3月、妹の張麗光と共に張皇太后に召されて後宮に入り、貴人に封ぜられた。

6月、劉聡は貴嬪の劉英を皇后に立てようとした。だが、張皇太后が張徽光を皇后に立てるよう望んだため、やむなく従った。まもなく劉英も没した。12月、劉聡はやむなく張徽光を皇后に立て、父の張寔を左光禄大夫に任じた。

313年3月、張皇太后は崩じた。張徽光は号泣し、後を追うように2日後に崩じた。された。

張徽光の侍女である樊氏は、後に劉聡の皇后に立てられた。

伝記資料[編集]