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帆足計事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最高裁判所判例
事件名 損害賠償請並びに慰藉料請求
事件番号 昭和29(オ)898
1958年(昭和33年)9月10日
判例集 民集第12巻13号1969頁
裁判要旨
  1. 旅券法第13条第1項第5号は、外国旅行の自由に対し、公共の福祉のため合理的な制限を定めたもので、憲法第22条第2項に違反しない。
  2. 原審認定の事実関係(原判決参照)、特に占領治下我国の当面する国際情勢の下において、外務大臣が上告人らのモスコー国際経済会議への参加を旅券法第13条第1項第5号にあたると判断してなした旅券発給拒否の処分は、違法とはいえない。
大法廷
裁判長 田中耕太郎
陪席裁判官 小谷勝重島保藤田八郎河村又介入江俊郎垂水克己河村大助下飯坂潤夫奥野健一
意見
多数意見 全員一致
意見 田中耕太郎、下飯坂潤夫
反対意見 なし
参照法条
憲法22条旅券法13条1項5号
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帆足計事件(ほあしけいじけん)とは、国際会議に出席する目的で、日本国旅券の発給を申請した原告が、外務大臣から申請を拒否されて、そのために国際会議に出席できなかったことに対しての損害賠償を求めた事件。

事件の概要

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原告帆足計は、1952年3月にソビエト連邦(ソ連)のモスクワで開催される国際経済会議に招請され、外務大臣(当時の外務大臣は吉田茂)に対してソ連行きの旅券の発給を申請した。しかし外務大臣は、帆足が旅券法13条1項5号(当時。現在は7号)にいう「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」であると認定をして、旅行の発給を拒否したので、帆足は国際会議に出席することができなくなった。

そこで、帆足(他1名)は、渡航の権利を侵害されたとして、国に対して損害賠償を請求した。1、2審では原告敗訴、上告棄却により原告の敗訴確定した。

判旨

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上告棄却(最高裁判所大法廷判決昭和33年9月10日 民事判例集12巻13号1969頁)

  • 海外渡航の自由」といっても、無制限に許されるものではなく、公共の福祉のために合理的な制限に服するものと解すべきであり、旅券法による制限も、合理的な制限の範囲内である。
  • 当時は、冷戦という国際情勢であったため、資本主義国である日本から社会主義国の中心国であるソ連へ渡航するということは、「日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞がある」として旅券の発給を拒否した外務大臣の処分には合理性がある。
  • GHQ占領下の我が国や国際情勢において、外務大臣の拒否は違法というべきではない[1]

田中耕太郎下飯坂潤夫は、『多数意見は憲法二二条二項の、「外国に移住する自由」の中に外国へ一時旅行する自由をも含むものと解している。しかし、この解釈には承服できない。この条項が規定しているのは外国に移住することと国籍を離脱することの自由である(中略)要するに憲法二二条は一項にしろ二項にしろ旅行の自由を保障しているものではない。しからばこれについて規定がないから保障はないかというとそうではない。憲法の人権と自由の保障リストは歴史的に認められた重要性のあるものだけを拾つたもので、網羅的ではない。従つてその以外に権利や自由が存せず、またそれらが保障されていないというわけではない。我々が日常生活において享有している権利や自由は数かぎりなく存在している。それらはとくに名称が附されていないだけである。それらは一般的な自由または幸福追求の権利の一部分をなしている。本件の問題である旅行の自由のごときもその一なのである。この旅行の自由が公共の福祉のための合理的制限に服するという結論においては、多数意見と異るところはない』とする個別意見を表明している。

脚注

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  1. ^ 野中・江橋編『憲法判例集』〔第8版〕(有斐閣, 2001年)109頁

関連項目

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外部リンク

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