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川村元吉

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川村 元吉
時代 江戸時代前期
生誕 元和8年(1622年
死没 元禄5年8月14日1692年9月24日
別名 通称:孫兵衛
墓所 宮城県石巻市中浦2-2-11 普誓寺
官位正五位
主君 伊達忠宗綱宗
仙台藩
氏族 加藤氏川村氏
父母 父:加藤頼定 養父:川村重吉
兄弟 元吉資吉重成
川村重吉
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川村 元吉(かわむら もとよし)は、江戸時代前期の仙台藩士。

生涯

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加藤頼定の三男であったが、川村重吉の婿養子となって家督を相続した。養父の重吉没後、郡奉行となり、志を継いで貞山堀、孫兵衛堀を完成させた。寛永の頃、2代藩主伊達忠宗の命で、当時荒野であった伊豆野原の開墾を図り、一迫川上流に伊豆野堰を建設して、伊豆野原を開墾した。

承応2年(1654年)、養父重吉の遺言を実行に移し、重吉旧宅の敷地に菩提寺として普誓寺を建立した。

大正4年(1915年)、正五位を追贈された[1]

脚注

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  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.37

参考資料

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  • 『伊達世臣家譜』1巻(田辺希績編)
  • 『日本人名大辞典』(講談社)

関連項目

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