川勝広良
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時代 | 江戸時代前期 - 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享3年(1686年) |
死没 | 延享2年11月13日(1745年12月5日) |
別名 | 長八郎(通称) |
戒名 | 一無(法名) |
墓所 | 東京都港区芝の青龍寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家継→吉宗 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 |
父:川勝益氏、母:長尾氏 養父:川勝広成 |
兄弟 | 氏令、広良、女子(武蔵義時室)、女子(大久保忠興室) |
子 | 養子に広勝(川勝隆明の三男) |
川勝 広良(かわかつ ひろよし)は、江戸時代前期から中期の旗本。広氏流川勝家の3代当主。
生涯
[編集]貞享3年(1686年)、川勝益氏の二男として江戸に生まれ、後に川勝広成の養子となった。正徳3年(1713年)8月9日、義父広成の死去により、その家督(丹波国氷上郡内700石)を継ぎ、小普請となった。同年9月15日に初めて将軍徳川家継に謁見した。
享保4年(1719年)10月18日、小姓組に列した。享保9年(1724年)11月15日より二丸に仕えた。享保10年(1725年)6月1日、書院番となり、江戸城西の丸に勤仕した。
妻子ともに無し。延享2年(1745年)11月13日、60歳で没した。家督は養子の広勝が継いだ。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
- 『川勝家文書』東京大学出版会、日本史籍協会叢書57、1984年
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