山名四天王

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山名四天王(やまなしてんのう)は、室町時代から戦国時代にかけて山名氏で重きをなした垣屋氏田結庄氏(田結庄是義など)、八木氏太田垣氏の当主の総称とされる。

戦国時代においては垣屋続成田結庄是義八木豊信太田垣輝延の4人が当主であった。山名氏の衰退とともに独立色を強め、西に毛利氏、東に織田氏が台頭すると、2派に分かれ抗争を繰り広げ、山名氏の衰退をさらに加速させた。