小二子古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小二子古墳

墳丘
(右に後円部・石室開口部、左に前方部)
所属 大室古墳群
所在地 群馬県前橋市西大室町2545
位置 北緯36度23分22.52秒 東経139度11分37.53秒 / 北緯36.3895889度 東経139.1937583度 / 36.3895889; 139.1937583座標: 北緯36度23分22.52秒 東経139度11分37.53秒 / 北緯36.3895889度 東経139.1937583度 / 36.3895889; 139.1937583
形状 前方後円墳
規模 墳丘長38m[1]、後円部径30m、高さ5m、前方部幅18m
埋葬施設 横穴式石室
出土品 円筒埴輪、形象埴輪、須恵器、土師器、武器、装身具
築造時期 6世紀後半
史跡 国の史跡「後二子古墳ならびに小古墳」に包含
テンプレートを表示
墳丘

小二子古墳(しょうふたごこふん)は、群馬県前橋市西大室町にある古墳。形状は前方後円墳大室古墳群を構成する古墳の1つ。後二子古墳と合わせて国の史跡に指定されている(指定名称は「後二子古墳ならびに小古墳」)[2]

概要[編集]

大室古墳群の前方後円墳4基
古墳名 形状 規模 埋葬施設 築造時期
前二子古墳 前方後円墳 墳丘長94m 両袖式横穴式石室 6世紀初頭
中二子古墳 前方後円墳 墳丘長111m 横穴式石室? 6世紀前半
後二子古墳 前方後円墳 墳丘長85m 両袖式横穴式石室 6世紀後半
小二子古墳 前方後円墳 墳丘長38m 無袖式横穴式石室 6世紀後半

墳丘長38メートルの前方後円墳で、主軸を北東131°に向けている。墳丘は2段構築となっている。墳丘の一部は地山を削り出して造成され、葺石は施されていない。墳丘の周囲は盾型のが巡らされ、堀を入れた長さは44メートルに達する。テラス面には80~90本の円筒埴輪列、前方部頂には人物を中心とした形象埴輪列、後円部頂には器財を中心にした形象埴輪が配列されていた[3]

後二子古墳とほぼ同様の東西軸を持ち、つくられた時期も同じ頃で、後二子古墳と関わりの深い人物の墓と考えられる[3]

大室古墳群整備の際、小二子古墳は墳丘の残りがよくなかったため、築造時の状況を復元し展示する資料を得る目的で全面的な発掘調査が行われた。現在は調査結果を基に築造時のように墳丘に埴輪が樹立された状態に復元されている[3]

埋葬施設[編集]

半地下式の無袖型横穴式石室である。石室は明治時代盗掘を受け、天井部分が破壊されていたが、全長6メートル、奥壁幅1.8メートル、高さ1.8メートルと復元されている。ガラス製小玉14、金銅製耳環3、直刀3、刀子1、鉄鏃10、金具9、須恵器1が出土した。石室前面からは6世紀後半の特徴を示す土師器坏8と須恵器提瓶1が出土している。石室両側からは焼土が検出され、墓前祭祀が行われたことをうかがわせる[3]

文化財[編集]

国の史跡[編集]

  • 後二子古墳ならびに小古墳 - 1927年(昭和2年)4月8日指定[4]

脚注[編集]

  1. ^ 前橋市教育委員会編「前橋市 大室古墳群 -前二子古墳・中二子古墳・後二子古墳・小二子古墳-」、2013年
  2. ^ 国指定文化財等データベース 文化庁
  3. ^ a b c d 前原豊 「埴輪が林立する小二子古墳」『東国大豪族の威勢・大室古墳群〔群馬〕』 (シリーズ「遺跡を学ぶ」063)、新泉社、2009年
  4. ^ 後二子古墳ならびに小古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]