安藤朴翁

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安藤 朴翁
時代 江戸時代前期
生誕 寛永4年4月14日1627年5月28日
死没 元禄15年8月23日1702年9月14日
改名 定為→朴翁
別名 新五郎(通称
官位 右京進内匠頭
氏族 丹波安藤氏伏見宮邦輔親王の末裔)
父母 父:安藤了翁
安藤亀子[1]
抱琴[2]年山
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安藤 朴翁(あんどう ぼくおう)は、江戸時代前期の武士儒学者安藤 定為(あんどうさだため)とも。

丹波国桑田郡小口村の人物。妻は歌人の安藤亀子[1]

概要[編集]

京都で冷泉為景木下勝俊に和歌を学び、伏見宮家に仕えた。子の安藤抱琴安藤年山の『礼儀類典』編纂を助けた。元禄15年(1702年)8月23日に76歳で死去した。著作には『常陸帯』や『山家の記』がある[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]