大谷良子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおたに りょうこ
大谷 良子
職業 女優
ジャンル 劇映画時代劇現代劇サイレント映画
活動期間 1925年 - 1926年
配偶者 島耕二 (離婚)
志茂山剛 (再婚)
著名な家族 片山明彦 (島との長男)
テンプレートを表示

大谷 良子(おおたに りょうこ、生没年不詳)は、日本の女優である[1][2][3][4]俳優映画監督島耕二の最初の妻であり、島の長男で俳優の片山明彦の実母である[5]

人物・来歴[編集]

生年・生地ともに不明である[1]滝沢静子(1902年 - 1952年)の妹役を配役されている点から[6]、滝沢と同年代であることを推測することは可能であるが、定かではない。

記録の上でもっとも早くクレジットされているのは、1925年(大正14年)2月1日に公開された『涙の捕縄』(監督築山光吉)であり、同作を製作した京都市北区大将軍の日活京都撮影所(日活大将軍撮影所)の第一部(時代劇部)に、それ以前に入社している[2]。同年9月23日に公開された『狂へる漂人』(監督小林弥六)では「白痴・おそよ」役に抜擢され、同年11月21日に公開された短篇映画小品映画集 サンドウヰツチマン』(監督鈴木謙作)および『小品映画集 人生と活動』(監督徳永フランク)では、それぞれ、三桝豊斎藤達雄の相手役として主演している[2][3][4]

同年9月、同撮影所に俳優として入社した島耕二[7]とは、翌1926年(大正15年)3月19日に公開された『呑気な亭主』で共演し、同年7月4日に公開された『世界の智恵者』(監督阿部豊)に出演を最後に、島と結婚して引退した[2][3][4][5]。同年11月11日、長男でのちの俳優の片山明彦(本名・鹿児島燁彦)を出産する[5]。片山には妹・貞子がいて、島の長女にあたるが[5]、大谷の実娘か否かは不明である。

離婚・再婚の時期は不明であるが、『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』が発行された1929年(昭和4年)の時点では、すでに俳優の志茂山剛の妻とされている[8]。島との間の長男・片山明彦は、のちに島と結婚した女優の片山夏子が育てた[5]。当時、夫の志茂山はマキノ・プロダクション所属の俳優であり、撮影所に近い京都府葛野郡花園村(現在の同府京都市右京区花園)に居住した[8]没年不詳

フィルモグラフィ[編集]

すべてクレジットは「出演」である[2][3]。公開日の右側には役名[2][3]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[9][10]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。

日活大将軍撮影所[編集]

特筆以外すべて製作は「日活大将軍撮影所」、すべて配給は「日活」、すべてサイレント映画である[2][3][4]

脚注[編集]

  1. ^ a b 日本映画史研究会[2011], p.368.
  2. ^ a b c d e f g h i j 大谷良子日本映画データベース、2013年2月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 大谷良子、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 大谷良子日活データベース、2013年2月17日閲覧。
  5. ^ a b c d e キネマ旬報社[1979], p.149-150.
  6. ^ 筑波鋭之助、日本映画データベース、2013年2月17日閲覧。
  7. ^ キネマ旬報社[1979], p.271-272.
  8. ^ a b 映画世界社[1929], p.151.
  9. ^ 所蔵映画フィルム検索システム東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月17日閲覧。
  10. ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年2月17日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]