大浦盛信
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大浦盛信 | |
時代 | 戦国時代 |
生誕 | 文明15年(1483年) |
死没 | 天文7年9月26日(1538年10月18日)[1] |
氏族 | 大浦氏 |
父母 | 父:新庄信春?、養父:大浦光信 |
子 | 養子:政信 |
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大浦 盛信(おおうら もりのぶ)は、戦国時代の武士。新庄信春の次男か。
文亀2年(1502年)、養父・大浦光信の命で、新しく築城された大浦城に入る。大永6年(1526年)に養父が死去すると、大永8年(1528年)には菩提を弔うために西津軽郡に長勝寺を建立している。
子がいなかったため(森岡為治の父?)、甥(光信の実子とも)の政信を養子とし跡継ぎに定めた。