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大江千古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大江千古
時代 平安時代前期
生誕 貞観8年(866年
死没 延長2年5月29日[1]924年7月3日
官位 従四位下伊予権守[2]
主君 醍醐天皇
氏族 大江氏
父母 父:大江音人
兄弟 公幹、玉淵千里、宗淵、染淵、千秋、千古、春潭、千枝
巨勢文雄
維明、維望、維潔、維時
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大江 千古(おおえ の ちふる)は、平安時代前期の貴族参議大江音人の七男。官位従四位下伊予権守

経歴

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延喜元年(901年)の方略試で及第し、翌年の除目で式部少丞に任ぜられている。漢学に詳しく、醍醐天皇侍読を務めた。

延長2年(924年)5月29日卒去(没日を2月2日とする説もある)。時に伊予権守従四位下。

後撰和歌集』に「冬の歌」と「恋の歌」の二つの歌が、『新古今和歌集』には延喜6年(906年)の日本紀竟宴の時に詠まれた歌が入集している。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『北小路家譜』
  2. ^ 『公卿補任』による。『大江氏系図』では従四位上・式部大輔

参考文献

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  • 井上辰雄『平安儒家の家 大江家のひとびと』塙書房、2014年 ISBN 978-4-8273-1265-2 第9章「大江千里と千古」