大江玉淵

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大江 玉淵
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従四位下
主君 光孝天皇
氏族 大江氏
父母 父:大江音人
兄弟 公幹、玉淵千里、宗淵、染淵、千秋、千古、春潭、千枝
朝典、朝衡、朝綱
養子:白女
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大江 玉淵(おおえ の たまふち)は、平安時代前期の貴族参議大江音人の子。大江朝綱の父。また、歌人としても知られる遊女白女を女(むすめ。養女)とした[1]官位従四位下

経歴[編集]

兵部少丞式部少丞を経て、光孝朝仁和2年(886年従六位上から三階昇進して従五位下叙爵し、日向守に任ぜられる。その後の経歴は不明であるが、息子である朝綱の参議任官について記した『公卿補任』では、朝綱を「従四位下玉淵男」と記されており、玉淵は従四位下に叙されていたと推定されている。

官歴[編集]

日本三代実録』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『新撰十訓抄』田中健三著 (東林書房, 1931)
  2. ^ 『公卿補任』天暦7年条

参考文献[編集]

  • 関口力「大江玉淵」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7
  • 井上辰雄『平安儒家の家 大江家のひとびと』塙書房、2014年 ISBN 978-4-8273-1265-2 第2章「大江朝綱」