多治比乙麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

多治比 乙麻呂(たじひ の おとまろ、生没年不詳)は、奈良時代貴族真人位階従五位下多治比屋主の第2子[1]

経歴[編集]

称徳朝天平神護元年(765年)正月、改元とともに日置蓑麻呂多治比長野中臣習宜山守下道色夫多弓削秋麻呂弓削牛養らとともに従五位下から内位従五位下に昇叙[2]。同年10月の称徳天皇の紀伊行幸の際、御前次第司次官をつとめた。この時の長官は、のちの光仁天皇となる白壁王。御後次第司長官は大中臣清麻呂、次官は藤原小黒麻呂[3]

万葉集』に、

霞立つ 野の上(うへ)の方(かた)に 行(ゆ)きしかば うぐひす鳴きつ 春になるらし (霞の立っている 野の上の方に 行ってみたら うぐいすが鳴いていた もう春になるらしい)[4]

が収録されている。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『万葉集』巻第八、1443番題詞
  2. ^ 『続日本紀』称徳天皇 天平神護元年正月7日条
  3. ^ 『続日本紀』称徳天皇 天平神護元年10月2日条
  4. ^ 『万葉集』巻第八、1443番

参考文献[編集]

  • 『続日本紀』4 新日本古典文学大系15 岩波書店、1995年
  • 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社学術文庫、1992年
  • 『萬葉集』(三)完訳日本の古典4、小学館、1984年