南高野古墳

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南高野古墳(みなみたかのこふん)は、岐阜県揖斐郡池田町片山南高野にある、直径22mの円墳

岐阜県道53号岐阜関ケ原線 の建設による事前調査として(財)岐阜県文化財保護センターが実施した二ノ井遺跡の発掘調査にて、地下約1mの地中で発見される。6世紀後半のものと推定されている。横穴式石室を持ち、内壁にベンガラによる赤い色彩が施されていて、「赤彩古墳」と呼ぶ。須恵器や耳環、馬具などが出土。
土石流により地下に埋没していたため、ほぼ完全な状態で残っていた[1]。副葬品の形やその配置から、この石室内では6世紀後半から7世紀前半にかけて最低3回、埋葬が行われたと考えられている[2]
天井石は農村公園グリーンパーク片山に移設されている[3]

赤彩古墳[編集]

玄室が赤く塗られた赤彩古墳は他に、岐阜県本巣市の舟来山十九、二七二、二七四号墳、岐阜県養老郡上石津町の二又一号墳、滋賀県中主町木部の木部天神前古墳、群馬県前橋市西大室町と東大室町の大室古墳群前二子古墳1880年アーネスト・サトウが調査している)などが発掘・調査されている。

関連項目[編集]

脚注
  1. ^ 岐阜県 池田町 わがまちをさぐる 編集・発行 池田町図書館 P.48
  2. ^ 岐阜県 池田町 わがまちをさぐる 編集・発行 池田町図書館 P.49
  3. ^ 現地説明看板
参考文献

岐阜県 池田町 わがまちをさぐる 編集・発行 池田町図書館