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加藤礼子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1949年

加藤 礼子(かとう れいこ、1925年 - )は、日本の元フィギュアスケート選手。日本フィギュアスケーティングインストラクター協会名誉会員[1]大東文化大学名誉教授早稲田大学文学部卒業。大阪府出身。

経歴

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大阪府出身[2]早稲田大学文学部卒業。

1948年の第16回全日本選手権丹羽芳子生田艶子に続き3位に入った。1951年の第19回全日本選手権で4位となり、このシーズンで引退し、プロフィギュアスケータとなった。1953年11月には、現在も欧米を中心に人気を博しているプロフィギュアスケートショー「ホリデー・オン・アイス」に入団し、東洋人としてはじめてプリンシパルとして参加した[3][4]

1954年1月からはアイスショーの欧米巡業に参加し、1955年1月に帰国。プロモーションは、日活が行っていた[5]

その後、フィギュアスケート・コーチとして、アイスダンス全日本チャンピオン&世界選手権代表となった田村正人赤広真弓など数多くの後進の育成に努めた。

また大東文化大学文学部教育学科教授(幼児教育および表現論)として教鞭をとり、体育で社交ダンスを教授。以後顧問とし舞踏研究会を創部。現在は大東文化大学競技ダンス部、名誉顧問。日本フィギュアスケーティングインストラクター協会名誉会員。

論文

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  • 加藤 禮子、1975、「フリー・スケーティングのプログラム構成に関する研究その四 : 「ショート・プログラムについての一考察」」、『日本体育学会大会号』26号(1975-08-20)、社団法人日本体育学会、NAID 110001912757 pp. 83

脚注

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  1. ^ 日本フィギュアスケーティングインストラクター協会 役員一覧
  2. ^ アサヒグラフ』 1949年12月21日号、朝日新聞社。
  3. ^ Stars of the Show | The Fabulous Ice Age
  4. ^ 読売新聞 昭和35年1月17日 17面
  5. ^ 「加藤礼子さん帰国」『日本経済新聞』昭和30年1月21日3面

関連項目

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