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劉 休業(りゅう きゅうぎょう、元嘉22年(445年)- 孝建3年閏3月18日(456年5月8日))は、南朝宋の皇族。鄱陽哀王。文帝劉義隆の十五男。
文帝と董美人のあいだの子として生まれた。孝建2年(455年)7月、鄱陽王に封じられた。孝建3年(456年)閏3月、死去した。太常の位を追贈された。大明6年(462年)、山陽王劉休祐の次男の劉士弘が封を嗣いだが、廃位されて封国は除かれた。
- 『宋書』巻72 列伝第32
- 『南史』巻14 列伝第4