内藤政共
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内藤 政共(ないとう まさとも、1859年4月1日(安政6年2月28日[1]) - 1902年(明治35年)11月22日[2][注 1])は、明治期の海軍技師、政治家、華族。最終階級は海軍造船大技士。貴族院子爵議員。
経歴
[編集]元挙母藩主(第4代)・内藤政成の十二男として生まれ、内藤文成(第7代藩主)の養子となる[1]。1874年(明治7年)6月10日、養父の隠居に伴い家督を継承[1]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]。
1881年(明治14年)工部大学校を卒業[2]。同年、イギリスに私費留学し、グラスゴー大学で海事工学を研究した[2][4]。帰国後、1885年(明治18年)海軍省御用掛に就任[2]。以後、海軍大技士、同造船大技士を歴任[2][4][5]。その他、兼小野浜造船所製造科主幹、川崎造船所嘱託なども務めた[2][4][5]。1887年(明治20年)1月、待命となり、1888年(明治21年)非職、1890年7月(明治23年)予備役に編入された[5]。
1890年7月10日、貴族院子爵議員に選出され[2]、死去するまで2期在任した[2]。この間、製鉄事業調査会委員、造船規程調査委員[2]、東京市会議員[6]などを務めた。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、213頁では11月23日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 富田仁編『海を越えた日本人名事典』新訂増補、日外アソシエーツ、2005年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (挙母)内藤家初代 1884年 - 1902年 |
次代 内藤政光 |