内藤利八
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内藤 利八(ないとう りはち、1856年3月12日(安政3年2月6日[1])- 1921年(大正10年)7月1日[2])は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員(5期)。
経歴
[編集]内藤林蔵の長男として[1]、播磨姫路藩領神東郡、のちの川辺村(兵庫県神崎郡川辺村を経て、現市川町)に生まれる[3]。中川卜陽に漢学を学び、さらに英語、政治学を修めた[3]。1873年(明治6年)18歳にして川辺村戸長に就任[3]。1881年(明治14年)兵庫県会議員に当選し、常置委員を経て、1888年(明治21年)同議長となった[4]。1890年(明治23年)同志と共に育英館を設立し子弟教育に尽くした[4]。ほか、播但鉄道、姫路水力電気各社長、姫路商業銀行監査役を務めた[2]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では兵庫県第7区から出馬し当選[2]。第2回、第8回、第9回、第10回総選挙でも当選し衆議院議員を通算5期務めた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。