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光巌寺 (前橋市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
光巌寺
光巌寺本堂(奥)・庫裏(手前)
所在地 群馬県前橋市総社町総社1607
位置 北緯36度24分28.3秒 東経139度02分16.5秒 / 北緯36.407861度 東経139.037917度 / 36.407861; 139.037917座標: 北緯36度24分28.3秒 東経139度02分16.5秒 / 北緯36.407861度 東経139.037917度 / 36.407861; 139.037917
山号 秋元山
院号 江月院
宗派 天台宗
本尊 釈迦如来
創建年 慶長12年(1607年
開山 亮応
開基 秋元長朝
正式名 秋元山 江月院 光巖寺
文化財 力田遺愛碑(群馬県指定史跡)、東覚寺層塔(前橋市指定重要文化財)他
法人番号 8070005000485 ウィキデータを編集
光巌寺の位置(群馬県内)
光巌寺
光巌寺
光巌寺 (群馬県)
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光巌寺(こうがんじ)は、群馬県前橋市にある天台宗寺院。正式名は秋元山 江月院 光巌寺(あきもとさん こうげついん こうがんじ)、本尊は釈迦如来[1]

歴史

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慶長12年(1607年)、総社藩秋元長朝が母の菩提を弔うため、元総社の徳蔵寺を移し創建した[1][2][3]。開山は亮応[4][1]。なお、父の景朝の菩提を弔うために創建したのが元景寺である[5][6]

寛永3年(1626年)に朱印地30石、慶安2年(1649年)に朱印地16石を与えられ、江戸時代には計46石を得ていた[3][4]

万治または正保年間と文化年間の2度にわたり火災で焼失し、本堂は文政3年(1820年)、庫裏は文化10年(1813年)の再建[1][2]

境内には、「力田遺愛碑」と呼ばれる石碑がある。これは天狗岩用水開削事業を行った長朝を顕彰するものである。秋元氏は後に谷村藩に転封になったが、転封後の1776年安永5年)に長朝の遺徳を偲び造立された[6]

文化財

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群馬県指定文化財

前橋市指定文化財

  • 東覚寺層塔(前橋市指定重要文化財 昭和48年9月24日指定)[8]
  • 光巌寺薬医門(前橋市指定重要文化財 昭和50年12月24日指定)[8]
  • 光巌寺の打敷・油単並びに幡(前橋市指定重要文化財 平成7年4月20日指定)[8]
  • 光巌寺の石幢(前橋市指定重要文化財 平成7年4月20日指定)[8]
  • 石山寺蒔絵机(前橋市指定重要文化財 平成9年4月21日指定)[8]
  • 三具足1具(前橋市指定重要文化財 平成9年4月21日指定)[8]
  • 輪口瓜形釜伝芦屋1口 附極め書3通(前橋市指定重要文化財 平成9年4月21日指定)[8]

交通アクセス

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周辺

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脚注

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  1. ^ a b c d 群馬県地域創生部文化財保護課 2022, pp. 10–14.
  2. ^ a b 前橋市史編さん委員会 1984, p. 722.
  3. ^ a b 群馬県群馬郡誌
  4. ^ a b 上野国志
  5. ^ 光巌寺前橋観光コンベンション協会「前橋まるごとガイド」
  6. ^ a b 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年、16-17p
  7. ^ 群馬県内の県指定文化財一覧群馬県
  8. ^ a b c d e f g 市指定文化財一覧前橋市

参考文献

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  • 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年
  • 群馬県地域創生部文化財保護課『群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-寺院編』群馬県前橋市大手町一丁目1番1号、2022年3月18日(原著2022年3月18日)。doi:10.24484/sitereports.121894NCID BC14398038https://sitereports.nabunken.go.jp/121894 
  • 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 5巻、前橋市、1984年。