供御田
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供御田(くごでん)とは、天皇の食膳(供御)に出す米(供御米)を作る田地。御稲田(みいねた)とも呼ばれる。
律令制においては官田がその任を担って大炊寮が管轄していたが、律令制の衰微と荘園の拡大により、各地で官田の喪失や供御米の未進が相次ぐなど、収入が不安定になった。そこで、院政期に入ると畿内を中心として独自の御稲田・供御田とこれを経営する供御人が設置された。『本朝世紀』によれば、久安5年(1149年)に河内国石川郡の御稲田の供御人が上洛愁訴に至っている。その後、大炊寮の諸司田(大炊寮領)の一部として経営されるようになり、大炊頭を世襲した中原氏が目代・年預・預所・下司・供御人といった系統だった管理体制を構築し、公領として安定的な経営が行われた。供御田・御稲田は「天下無双の公領」の異名を称され、戦国時代まで存続した。
参考文献
[編集]- 清田善樹「供御田」(『国史大辞典 4』(吉川弘文館、1984年) ISBN 978-4-642-00504-3)
- 橋本義彦「御稲田」(『日本史大事典 6』(平凡社、1994年) ISBN 978-4-582-13106-2)