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佐久間豊信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
佐久間豊信
時代 江戸時代中期
生誕 元禄14年(1701年
死没 元文元年5月30日1736年7月8日
別名 通称:五郎三郎、小左衛門
戒名 了徹
墓所 東京都港区瑠璃光寺
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川吉宗
氏族 佐久間氏
父母 父:佐久間信精、母:長田新右衛門房重
信尹
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佐久間 豊信(さくま とよのぶ)は、江戸時代中期の旗本。。

宝永4年(1707年)8月21日、わずか7歳にして父・佐久間信精の跡(蔵米300俵)を継ぎ、小普請となった。享保2年(1717年)5月12日、初めて将軍吉宗に拝謁。

享保7年(1722年)12月25日、祖父・信房の家督(1000石)を継ぎ、そのうちから200石を叔父・房元に分知したが、父から受けた蔵米は返上した。享保9年(1724年)10月9日、御小姓組に列せられた。後に西城御書院番に転任した。

元文元年(1736年)5月30日、死去。享年36。