佐々木累

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ささき るい

佐々木 累
四つ目結の家紋
生誕 生年月日不詳
日本の旗 日本 下総国古河藩(現在の茨城県古河市
死没 没年月日不詳
職業 剣術家
流派 一刀流関口新心流
敵対者 旗本奴
配偶者 小杉九十九
佐々木武太夫 (父)
小杉重左衛門 (義父)
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佐々木 累(ささき るい)は、江戸時代前期17世紀)に実在した日本の剣術家[1][2][3]。「異装の女性剣術家」として知られる[1][2][3]

人物・来歴[編集]

生年月日不明、17世紀に下総国古河藩(現在の茨城県古河市)に生まれる[1][2][3]。父は同藩主土井利勝に仕える剣術家・佐々木武太夫であり、この父に武道一般をすべて伝授される[1][2][3]。累に男兄弟がないため、婿をとろうとしたがうまくゆかぬまま、武太夫は病死、佐々木家の家名は父の代で断絶する[1][2][3]

累は浪人となり、江戸市中に出て、武蔵国豊島郡浅草聖天町(現在の東京都台東区浅草)に家を借り、そこで武芸指南を始める[1][2][3]。累の武道教授は評判になるとともに、その外出時の服装が、黒縮緬の羽織に佐々木氏の「四つ目結」の紋付、屋敷風の笄分けの髪型、大小を二刀差しにしていたので、それが「異装・異風」であるとして、評判にもなった[1][2][3]。当時、江戸市中に横行していた「旗本奴」による無頼行為が累に及んだことがあり、「白柄組」や水野成之の「大小神祇組」と渡り合ったという話が残っている[1][2][4]。(白柄組と大小神祇組は同一組織という説もある[5]

石谷左近将監(石谷貞清)が北町奉行を務めていたころ(1650年 - 1659年)、累は石谷に呼び出され、武家の娘であれば違法ではないが「異装・異風」はいかがなものかと問われ[3]、その目的は土井利勝の家臣であった父の意志を継ぎ、武勇の士を夫に持ちたいためであって、旗本奴・町奴のように狼藉を企てているわけではないと堂々と申し述べ、認められた[1][2][3]。この件は、南町奉行・神尾備前守(神尾元勝、1640年 - 1661年在任)にも伝わり[3]、さらには当時大老であった土井利勝の耳にも届いた、とされる[1][2][3]。利勝は1644年8月12日寛永21年7月10日)に死去しており、伝承する北町奉行の名が異なる時期の話か、いずれにしても利勝が動き、家臣の小杉重左衛門の次男、小杉九十九を婿に迎え、佐々木家は再興した[1][2][3]

没年月日・没地ともに不詳である[1][2]

関連作品[編集]

  • 池波正太郎が1969年(昭和44年)に上梓した短篇小説集『剣客群像』(桃源社)にある『妙音記』には、主人公として、女剣士の佐々木留伊、『剣客商売』には、男装の女武芸者・佐々木三冬が登場する。
  • TAGROによる時代劇漫画『別式』(講談社)では名前の読みが同じ「佐々木類」が主人公を務める。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 佐々木累朝日日本歴史人物事典コトバンク、2012年8月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 佐々木累デジタル版 日本人名大辞典+Plus、コトバンク、2012年8月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 実録、p.53-55.
  4. ^ 大日本人名辭書p.2401.”. 2018年10月27日閲覧。
  5. ^ デジタル大辞泉『白柄組』 - コトバンク、2012年7月31日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]