久米金弥

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久米金弥

久米 金弥(くめ きんや、慶応元年8月12日[1]1865年10月1日) - 昭和7年(1932年5月6日[2])は、日本の内務官僚、逓信官僚、農商務官僚。

経歴[編集]

東京府士族久米美由の長男として生まれる[1]1884年明治17年)、東京大学を卒業後、内務省に入る[3]書記官参事官[4]社寺局[5]を歴任した。のち逓信省に移り、参事官、通信局長を務めた[1]。さらに農商務省に移り、特許局長、山林局長、農商務次官を歴任した[3]

特許局長を務めていた1904年(明治37年)に農商務大臣清浦奎吾とともに「工業所有権保護協会」を創設し、常務委員長、副会長に就任した[6]。工業所有権保護協会は1910年(明治43年)に「帝国発明協会」と改称したが、引き続き副会長を務めた。

その他に愛国婦人会事務総長を務めた[7]

栄典[編集]

著書[編集]

  • 『警官実用』(1886年、伊藤書店)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『人事興信録』
  2. ^ 国民新聞社『昭和八年 国民年鑑』
  3. ^ a b 『帝国大学出身名鑑』
  4. ^ 『官報』第3300号、明治27年6月30日。
  5. ^ 『官報』第4250号、明治30年8月31日。
  6. ^ 『帝国発明協会沿革』
  7. ^ 『愛国婦人会四十年史 附録』
  8. ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。 
  • 七字魁編『帝国発明協会沿革』帝国発明協会、1924年。 
  • 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1932年。 
  • 『愛国婦人会四十年史 附録』愛国婦人会、1941年。 
公職
先代
和田彦次郎
日本の旗 農商務次官
1907年 - 1908年
次代
押川則吉