中村可近
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 1644年12月25日(正保元年11月26日) |
別名 | 大学 |
墓所 | 桂林寺 |
官位 | 若狭守 |
主君 | 蜂須賀家政→蜂須賀至鎮 |
藩 | 徳島藩 |
氏族 | 中村氏 |
父母 |
父:中村重勝 母:愛子(益田氏の娘) |
兄弟 | 初代中村勘三郎(説)[1] |
妻 |
正室:正宗院(賀島氏) 側室:葛野おまり |
子 | 中村近照、中村富淑 |
中村 可近(なかむら かきん)は、戦国時代の武将。阿波大西城主。初名は大学。官位は若狭守。
生涯
[編集]父は徳島藩祖である蜂須賀家政に仕えた中村重勝。母は益田氏の娘である愛子。
1614年(慶長19年)に父の重勝が本町橋の夜襲戦で戦死したため、家督を継ぐ。高5千5百石、後に高2千石加増となる。父に代わり大西城代となる。
1644年(正保元年)11月26日、52歳で没する。墓所は徳島県三好市にある桂林寺。
脚注
[編集]- ^ “中村勘三郎さんが三好市へ先祖の墓参り”. 三好市 (2009年5月). 2017年11月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 中山義純・牛田義文訳注『訳注 阿淡藩翰譜〔徳島藩・上級家臣録〕』(上田家文書)