中井重義
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中井 重義 | |
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生誕 |
1886年5月27日 日本 香川県 |
死没 | 1972年3月9日(85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1907年 - 1938年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
中井 重義(なかい しげよし、1886年(明治19年)5月27日[1] - 1972年(昭和47年)3月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等[2]。
経歴
[編集]香川県出身[1]。陸軍士官学校第19期卒業[1]。1917年(大正6年)8月、陸軍歩兵大尉に進級し[3]、1923年(大正12年)9月時点で第11師団副官の任にあった[3]。1924年(大正13年)8月、陸軍歩兵少佐に進級し[4]、1926年(大正15年)3月に歩兵第8連隊大隊長に転じ[5]、1927年(昭和2年)7月に第4師団司令部附となった[6]。1929年(昭和4年)8月、陸軍歩兵中佐に進級し[7]、1931年(昭和6年)3月、歩兵第78連隊附に移り[8]、同年10月に第20師団副官に就任した[9]。
1934年(昭和9年)8月、陸軍歩兵大佐進級と同時に静岡連隊区司令官に着任し[10]、1936年(昭和11年)3月に歩兵第63連隊長(第10師団・歩兵第33旅団[11][12][13])に転じた[10]。日中戦争勃発後の1937年(昭和12年)8月に天津方面に出動し、子牙河沿いを進撃して9月17日まで最前線で戦った[14]。同年10月に留守第10師団司令部附(中部防衛司令部[15][16])となり[1]、1938年(昭和13年)3月1日、陸軍少将進級と同時に待命となり[1][10]、3月25日に予備役に編入された[1]。
晩年は脳軟化症の治療に当たっていたが、 1972年(昭和47年)3月9日に死去[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 福川 2001, 504頁.
- ^ a b c 『偕行』第250号、陸修偕行社、1972年4月、45頁。
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調263頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正13年9月1日調260頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調207頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和2年9月1日調200頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和5年9月1日調160頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和6年9月1日調118頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和7年9月1日調117頁
- ^ a b c 外山 1981, 248頁.
- ^ 外山・森松 1987, 390頁.
- ^ 外山・森松 1987, 391頁.
- ^ 外山・森松 1987, 392頁.
- ^ 歩兵第63聯隊史編纂委員 1974, 序.
- ^ 外山・森松 1987, 569頁.
- ^ 外山・森松 1987, 571頁.
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 歩兵第63聯隊史編纂委員 編『歩兵第六十三聯隊史』歩兵第63聯隊史刊行委員会、1974年。