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ヴィッテキント・ツー・ヴァルデック=ピルモント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィッテキント
Wittekind
ヴァルデック=ピルモント家家長
在位 1967年 -

全名
出生 (1936-03-09) 1936年3月9日(88歳)
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
ヘッセン=ナッサウ州
アーロルゼン
配偶者 ツェツィーリエ・フォン・ゴーエス=ザウラウ
子女 カール・アントン
ヨシアス
ヨハンネス
家名 ヴァルデック=ピルモント家
父親 ヨシアス
母親 アルトブルク
宗教 キリスト教ルーテル教会
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ヴィッテキント・プリンツ・ツー・ヴァルデック・ウント・ピルモントドイツ語: Wittekind Prinz zu Waldeck und Pyrmont, 1936年3月9日 - )は、ドイツの旧諸侯ヴァルデック=ピルモント家の家長(1967年 - )。

経歴

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ヴァルデック=ピルモント侯世子ヨシアスと、その妻のオルデンブルク大公女アルトブルク英語版フリードリヒ・アウグスト2世の五女)の間の長男(第4子)として生まれた。父がナチ党親衛隊(SS)の将軍だったため、洗礼の代父はアドルフ・ヒトラーハインリヒ・ヒムラーが務めた。フランクフルト・アム・マインケルン経営経済学を学んだ後、インターンシップを通して様々な職種を経験したほか、ドイツ空軍に所属して中佐まで昇進した。1967年の父の死に伴い、ヴァルデック侯家の家督を継承した。現在は、歴史的建造物や森林の保護のための活動に取り組んでいる。2001年8月9日、ヘッセン州首相ローラント・コッホよりドイツ連邦共和国功労勲章を授与された。

結婚と子女

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1988年にゴーエス=ザウラウ伯爵夫人ツェツィーリエ英語版と結婚した。同年4月1日にシュタイアーマルク州フローンライテンドイツ語版において民事婚が、5月19日にアーロルゼンにおいて宗教婚が執り行われた。ツェツィーリエとの間に3男を儲けた。

参考文献

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先代
ヨシアス
ヴァルデック家家長
1967年 -
次代

推定相続人カール・アントン
上位
ゾフィー・ディアバッハ
イギリス王位継承順位
ジョージ2世の孫娘アウグスタの子孫)
他の英連邦王国の王位継承権も同様
下位
カール・アントン