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レッド・ロドニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レッド・ロドニー
Red Rodney
レッド・ロドニー(1946年)
基本情報
出生名 Robert Roland Chudnick
生誕 (1927-09-27) 1927年9月27日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没 (1994-05-27) 1994年5月27日(66歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フロリダ州ボイントンビーチ
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 トランペット
活動期間 1942年 - 1994年
レーベル サヴォイファンタジー、Muse、Sonet、Steeplechase、Chesky
共同作業者 チャーリー・パーカーアイラ・サリヴァン
ウォルト・ディズニー・ワールド内のヴィレッジ・ジャズ・ラウンジにおけるリッチ・マットソン、レッド・ロドニー、アイラ・サリヴァン。写真:ローラ・コルブ

レッド・ロドニーRed Rodney1927年9月27日 - 1994年5月27日[1]は、アメリカジャズトランペット奏者。

略歴

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ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれた彼は、15歳でプロのミュージシャンになり、1940年代半ばにジェリー・ウォルドジミー・ドーシージョージー・オールドエリオット・ローレンスベニー・グッドマン、レス・ブラウンらのビッグ・バンドで働いた。彼は、ディジー・ガレスピーチャーリー・パーカーを聴いて自分のスタイルをビバップに変え、クロード・ソーンヒルジーン・クルーパウディ・ハーマンと演奏するようになったことで実践した[2]。彼はユダヤ人であった。

チャーリー・パーカーからの招きを受けて、彼のクインテットに参加[1]。1949年から1951年までバンドのメンバーを務めた[2]。グループの唯一の白人メンバーであったロドニーは、アメリカ南部で演奏したとき、人種の混ざった音楽コンボに対する偏見を避けるための策略として「アルビノ・レッド」として売り出された[3]。この時期の間に、広範囲にわたるレコーディングを行った。

1950年代、フィラデルフィアでバンドリーダーとして活動するようになり、アイラ・サリヴァンとレコーディングを行った。彼はヘロイン中毒となり、ジャズをやめたりまた始めたりというパターンを繰り返すようになった[1]

1969年、ロドニーはラス・ブラック率いるフラミンゴ・カジノ・ハウス・バンドの一員として、ウディ・ハーマンの同僚を務めたトロンボーン奏者のビル・ハリスとラスベガスで演奏した。同じ仕事は1972年まで続いた。

1970年代初頭、彼は脳卒中後の医療費が原因で破産した。彼はジャズへと戻った。1975年には、麻薬犯罪によりケンタッキー州レキシントンに投獄された。投獄されている間、MC5のギタリストであるウェイン・クレイマーに音楽レッスンを行った[4]

彼はアイラ・サリヴァンと再会を果たし、またディジー・ガレスピーとも共演した[1]。1980年から1982年にかけて、ロドニーはサリヴァンと共に5枚のアルバムを制作している。これらのアルバムで、彼はポスト・バップ・ジャズを演奏し始めた。1990年代まで、演奏活動とレコーディングを続けた。彼は、ローリング・ストーンズのドラマーであるチャーリー・ワッツによるチャーリー・パーカーのトリビュート・アルバムでも演奏している。彼は、わずか19歳で彼のグループのメンバーを務めたサックス奏者のクリス・ポッターに初期のショーケースを提供しており、それはロドニーが1990年後半に『Red Alert!』を録音したときのことだった。

彼はジャズ・アット・リンカーン・センターJVCジャズ・フェスティバルに出演した。クリント・イーストウッド監督のチャーリー・パーカーを描いた映画『バード』では、アドバイザーを務めている[1][2]。映画内では、マイケル・ゼルニカーがロドニー役を演じた。

ロドニーは、1994年5月27日に肺がんで亡くなった[1]

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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  • 『モダン・ミュージック』 - Modern Music from Chicago (1956年、Fantasy)
  • 『ファイアリー』 - Red Rodney: 1957 (1957年、Savoy) ※『ザ・レッド・アロウ』として再発あり
  • 『レッド・ロドニー・リターンズ』 - Red Rodney Returns (1959年、Argo)
  • Broadway (1965年、Status)
  • 『バード・ライブス!』 - Bird Lives! (1974年、Muse)
  • 『スーパーバップ』 - Superbop (1974年、Muse)
  • Red Rodney with the Bebop Preservation Society (1975年、Spotlite)
  • 『レッド・トーネイド』 - The Red Tornado (1976年、Muse)
  • Yard's Pad (1976年、Sonet)
  • 『レッド、ホワイト・アンド・ブルース』 - Red, White and Blues (1978年、Muse)
  • 『ホーム・フリー』 - Home Free (1979年、Muse)
  • Live at the Village Vanguard (1980年、Muse)
  • Night and Day (1981年、Muse) ※with アイラ・サリヴァン
  • 『スピリット・ウィズィン』 - Spirit Within (1982年、Elektra Musician) ※with アイラ・サリヴァン
  • 『ザ・スリーR』 - The 3R's (1982年、Muse) ※with リッチー・コールリッキー・フォード
  • 『スプリント』 - Sprint (1983年、Elektra Musician) ※with アイラ・サリヴァン
  • Hi Jinx at the Vanguard (1984年、Muse)
  • Social Call (1984年、Uptown) ※with チャーリー・ラウズ
  • Alive in New York (1986年、Muse)
  • Red Giant (1988年、SteepleChase)
  • Red Snapper (1988年、SteepleChase)
  • Red Giant (1988年、SteepleChase)
  • Society Red (1988年、Music Mecca) ※with The New Danish Jazzarmy
  • 『ノー・ターン・オン・レッド』 - No Turn on Red (1989年、Denon)
  • Code Red (1989年、Continuum)
  • Red Alert! (1991年、UFO)
  • 『ゼン・アンド・ナウ』 - Then and Now (1992年、Chesky)
  • 『スクラップル・フロム・ジ・アップル』 - Scrapple From The Apple (2021年、Solid) ※1975年録音 with ハーマン・スクーダーヴァルト

参加アルバム

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脚注

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  1. ^ a b c d e f Red Rodney, Jazz Trumpeter And Band Leader, Dies at 66”. The New York Times (May 28, 1994). January 18, 2017閲覧。
  2. ^ a b c Red Rodney | Biography & History | AllMusic”. AllMusic. 18 January 2017閲覧。
  3. ^ Obituary: Red Rodney” (英語). The Independent (1994年5月31日). 2020年8月30日閲覧。
  4. ^ Oates, Bridget (January 7, 2015). “Wayne Kramer's "Prison Jazz" Roots”. Guitar Player. https://www.guitarplayer.com/players/wayne-kramers-prison-jazz-roots September 3, 2018閲覧。 

参考文献

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  • Fresh Air on WHYY, December 30, 2002
  • Morton, Richard and Cook, Brian. The Penguin Guide to Jazz, New Edition, London, Penguin, 1994
  • Morton, Richard and Cook, Brian. The Penguin Guide to Jazz on CD, sixth Edition, London, Penguin, 2002, ISBN 0140515216

外部リンク

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