ルイ・ル・ブルトン

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ルイ・ル・ブルトン

Louis Le Breton
フランス艦アストロラーベ(Astrolabe)とゼレー(Zélée)、ル・ブルトン作
生誕 (1818-01-15) 1818年1月15日
フランスの旗 フランス フィニステール県 ドゥアルヌネ
死没 (1866-08-30) 1866年8月30日(48歳没)
フランスの旗 フランス パリ
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ルイ・ル・ブルトン(Louis Le Breton, ドゥアルヌネ出身、1818年1866年)は、海景画を専門としたフランス画家である。

略歴[編集]

フィニステール県の港町、ドゥアルヌネで医者の家に生まれた。カンペールの学校で学んだ後、1836年からブレストの海軍の医学校で学び、1837年卒業し、3等軍医になった。

世界一周航海をしたアストロラーベ号(Astrolabe)の船長、ジュール・デュモン・デュルヴィルの遠い親戚で、デュモン・デュルヴィルの1837年からの3度目の世界一周航海に出発するアストロラーベ号にル・ブルトンが、乗船したのは18歳の時だった。絵の才能を見出され、最初の1月は公式探検画家のエルネスト・グーピル(Ernest Goupil)から船中で絵の訓練を受けた。1838年に船団の中で赤痢が流行し、グーピルも1840年1月にその犠牲になり、グーピルの仕事はル・ブルトンが引き継ぐことになった。1840年に世界一周航海から帰還するとル・ブルトンはレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲した。

1844年に船医となって、別の軍艦に配属されるが1846年に健康上の理由で本国へ送還され、その後は海軍の海洋画家として働いた。1848年に軍を退役した。

アウステルリッツ(Austerlitz)

オカルト[編集]

ルイ・ル・ブルトンはコラン・ド・プランシー地獄の辞典1863年版に、69の神秘的な悪魔のイラストを創作し、M.ジャローによる版画として提供している[1]

参考文献[編集]

  1. ^ Peter Fitting, Subterranean Worlds: A Critical Anthology, page 208 (Wesleyan University Press, 2004). ISBN 9780819567239

外部リンク[編集]